
神田・鍛冶町で20年、
活き締めの魚にこだわる割烹

特製だしにさっと泳がせるブリしゃぶ。脂がほどけ、野菜の甘みが重なっていく瞬間。
神田駅前で20年続く割烹
神田駅東口にほど近い千代田区鍛冶町2丁目。立ち食いそば屋「かめや」の上に、「新江戸前料理 治味家」の暖簾がかかる。店主の田仲治彦さんは白い割烹着と角刈りがよく似合う、正統派の板前だ。16歳で割烹の世界に足を踏み入れ、板場一筋38年。名店の料理長として腕をふるい、東京都のフグ調理師講師も務めた。まさに“本物の板前”と呼ぶにふさわしい。「生まれ変わっても板前になりたい」と笑うその横顔には、職人気質の優しさと筋の通った誇りがにじむ。開店以来20年変わらず通う常連がいるのも、“いま旨い魚を、いちばんよいかたちで出す”という一貫した姿勢を守ってきたからだ。肉は一切使わない、その潔さがこの店の魅力になっている。
暖簾をくぐると、魚の生臭さがまったくない。活きのいいうちにきっちりと締められた個体のみを扱っているからだという。一昔前に熟成肉ブームが起き、それが魚にも波及して熟成を売りにする割烹が増えた。しかし、田仲さんの口からは「本来、熟成は寿司屋の領分、割烹は活き締めで鮮度を生かす」という言葉がすっと出る。素材を寝かせて旨みを引き出す技も尊いが、ここで目指すのは、水揚げした直後の張りと清澄な香りを、料理として立たせること。毎朝の仕入れから仕込み、盛り付けまで、その信条が貫かれている。

3階の落ち着いたテーブル席。家族や仲間とゆっくり語らえる個室風空間。

静岡の銘酒「磯自慢」を手にする田仲さん。魚の味を邪魔しないすっきりとした一杯。

板場で盛り付けをする田仲さん。16歳から磨いてきた所作は、無駄がなく美しい。
秋から冬の人気メニュー
特製「ブリしゃぶ」
この日の先付からして清々しい。カンパチとマダイの刺身は、包丁が入った面が鈍く光り、歯を当てるとぷりっと弾む。釣りたてさながらの張りを残しつつ、噛み進めるほどにじんわりと旨みが滲む。魚料理の妙味は、時間の経過とともに変化する点にある。締めた直後の魚は身が張り、歯ごたえが鮮烈である。しかし、そこに含まれる旨味の種は、まだ十分に芽吹いていない。時間を置き、いわゆる「寝かせる」ことによって分解が進み、イノシン酸などの旨味成分が生まれる。その結果、滋味は次第に深まっていくのである。ただし、滋味が深まる一方で、寝かせるほどに歯ごたえは徐々に失われていく。食感と旨味は、往々にして二律背反の関係にあるといえよう。
しかしながら、料理人の技がそこに介在すれば話は別である。活き締めの確かさ、血抜きの精緻さ、さらに包丁の入れ方によって、その両方をある程度両立させることが可能になる。歯切れを残しながら滋味を最大化する、その微妙な間合いを引き出すところにこそ、魚料理の真骨頂は存在するのである。
そして、その真髄を最も鮮やかに体感できる場所のひとつが「治味家」である。
冬場の楽しみは「ブリしゃぶ」である。提供は11月中旬からおよそ2カ月間。一般的なポン酢仕立てではなく、鰹の鉛節に薄口醤油とみりんで骨格を与えた特製のだしに、薄く引いたブリをさっと泳がせる。具は長ねぎと水菜のみ。潔い組み立てだからこそ、だしの輪郭が際立つ。鍋の中でブリの脂が 静かにほどけ、野菜の甘みがじわりと重なる。ひと椀すすれば、軽やかなのに奥行きがある、冬の滋味が体の芯に落ちていく。何度か舌鼓を打った後は、京都の黒七味をほんのひとつまみ。山椒の香りがふっと立ち、味がもう一段締まる。
「コロナの時にテイクアウトしていただける料理として始めたのですが、今では秋から冬にかけての人気メニューになりました。締めにうどんも楽しんでいただけます」と店主。だしだけを持ち帰る客がいるという話にも、思わず頷いてしまう。

ブリしゃぶ用に薄く引かれたブリ。美しい艶と張りが、活き締めならではの証。

京都の黒七味を添えた一椀。山椒の香りがふっと立ち、味がもう一段締まる。
締めは香ばしいうなぎの「くりから丼」
メニューは基本的にコースのみ。その日の仕入れで内容が変わるが、予約時に希望を伝えると可能な範囲で応えてくれるのも嬉しい。締めの人気メニューのひとつが、香ばしく焼いたうなぎを串ごとご飯にのせた「くりから丼」だ。タレの香ばしさに、刻み海苔と青ねぎが加わることで、うなぎの脂をすっきりと引き締め、風味をいっそう豊かにしている。ほろりとほどける身と、口いっぱいに広がる香りが、食事の最後にふさわしい満足感をくれる。
酒は、やはり日本酒が似合う。静岡出身の田仲さんは、地元の酒蔵と長年の縁があり、銘酒「磯自慢」を直接仕入れている。魚やだしの味を邪魔しないすっきりとした味わいが特徴で、脂の乗った冬のブリや、カンパチやマダイのような繊細な刺身とも実によく合う。杯を重ねるうちに、料理と酒が自然に調和して、お互いの良さを引き立て合うのがわかる。日本酒に不慣れでも、好みを伝えれば温度と銘柄をさりげなく提案してくれるのも心強い。
店内は2階と3階に分かれている。2階はフラットなカウンター6席で、座ると板さんと同じ目線になり自然と会話が弾む造り。いぶし銀の包丁さばきも見ものだ。美しい所作を眺めていると、思わず酒が進む。3階は最大12のテーブル席の落ち着いた個室。どちらのフロアも清潔感があり、長年通う客にとって心地よい居場所だ。
治味家という名には、田仲 “ 治 ” 彦の “ 味 ” を “ 家 ” のようにあたたかく迎える──そんな思いが込められている。店が立つ鍛冶町は、名の通り江戸の鍛冶職人が集まった土地柄だ。金槌の音が遠のいた今も、職人気質は土地に残る。この界隈に飲食店が多いのは、そうした気配をどこか無意識に受け継いでいるからかもしれない。

香ばしく焼いたうなぎを串ごとご飯にのせた「くりから丼」。刻み海苔と青ねぎが脂を引き締める。
レポート◎山根和明(広報委員会)
食いしん坊手帖 vol.32
東京都千代田区鍛冶町2-7-3 神田駅前センタービル2F
電話:03-3251-8038
- 営業時間
17:00~22:30(LO 22:00)
- 定休日
第1水曜日・土曜・日曜・祭日
(※土曜は4名様以上で予約可) - 席 数
2階カウンター6席
3階テーブル個室最大12名様
(6名様より貸切)
当ページに掲載している情報は、『法人なかま』発行当時のものです。現在の情報とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

