
幾多の試練を乗り越え、
一世紀半受け継がれてきた秘伝のすき焼き

そのためか海外からのお客も増えたという。
肉食解禁とともに150年前にオープン
「石橋牛肉店」の創業は1872年(明治5年)。この年、日本の食文化に大きな影響を与える出来事があった。明治天皇が牛肉を召されたという記事が新聞で報道されたのである。我が国においては675年に天武天皇が肉食禁止令を出して以降、実に1200年もの間、肉食を忌避する文化が醸成されてきた。
しかし、文明開化で日本を訪れる外国人が増え、明治政府は方針を180度転換。肉食を許可し奨励することにしたのである。肉食解禁で空前の牛肉ブームが起き、牛鍋が大ブレイクして雨後の筍のように牛鍋屋がオープンした。石橋牛肉店がすき焼き店「いし橋」を併設したのは明治12年。この頃、神田・浅草エリアを中心に東京に500店舗を超す牛鍋屋があったという。
「おそらく、うちも当初は牛鍋という名で出していたと思います」と語るのは、いし橋の5代目、石橋伸介さんだ。
関東大震災で都内の牛鍋屋は大半が倒壊し、その後、すき焼きという名に変わっていった。東京大空襲でいし橋は全焼したが、昭和25年に再興。それ以降、バブル崩壊、コロナ禍という試練を乗り越え、今や国内外から予約が殺到するようになった。
肉、割り下、鉄鍋。もう一つすき焼きに欠かせないもの

コースは霜降りかロースのいずれか。

1周目は肉だけ。2周目からは野菜も投入。肉の脂が溶けた割り下が野菜に染み込む。タマネギ効果でさらに肉が柔らかくなるようだ。4周で肉がなくなったら締めが基本コース。
現在の建物は戦後に建てられた瓦屋根の日本家屋。格子戸を開けて中に入ると、昭和にタイムスリップしたかのようだ。沓脱石で靴を脱ぎ、上がり框を上ると、磨き抜かれた板張りの廊下と階段が淡い光沢をたたえていた。
いし橋のすき焼きは、この日本家屋が建てられるはるか前の創業当時から同じ味を守り続けているという。
「割り下は明治12年からずっと同じです。実は、私も作り方を知りません。割り下を作れるのは母だけ。曾祖母から祖母、祖母から母へという感じで先祖代々、すき焼きは女性、肉は男性が担当してきました。また、鉄鍋も戦後から同じものを使い続けています」と伸介さん。
肉に関しては、かつては松坂牛や近江牛を指定買いしていたが、今はブランドにこだわらず、150年の歴史がある肉屋の目利きで、その時に一番いいものを買っているという。すき焼きに出すのは黒毛和牛のサーロインだけ。ちなみに、店にはメニューはなく、客が選ぶのは霜降りかロースかのみ。
割り下、鉄鍋、肉。そして、もうひとつ、すき焼きで大事なのが焼き方である。これを誤ると、せっかくの食材が台無しだ。いし橋では、専属の仲居さんが席について、すき焼きを作ってくれる。お客はただ味わうだけ。1人の仲居さんが相手にできるのは4人まで。そのため、仮に部屋が空いていても、仲居さんの数が足りないと予約を受けられないという。
「卵は黄身が大きい2Lのみを使っています。食が進むにつれ、卵に割り下の味が染みていきます。味が濃くなり過ぎないよう、仲居が差し水で調整します。また、お客さんの食べるペースに合わせて、鍋の火を消したり付けたりします。昔はマッチを使っていたので、一席でひと箱使い切ったなんてことも珍しくありませんでした」と伸介さん。

締めはおじやがオススメ。すき焼きでおじや?と思うかもしれないが、これがまた絶品。

落ち着いた日本間が全6室。老舗の雰囲気を醸し出している。
秘伝の味と老舗の雰囲気を大切にする
さしの入った霜降りのサーロインを、仲居の可弥さんが菜箸で一枚取って熱せられた鋳鉄の鍋にやさしく置く。じゅうじゅうと音を立てて変色していく肉を、何度か裏返し、黄身を溶いた器に折りたたむように入れてくれた。
「温かいうちにお召し上がりください」と可弥さん。
割り下は甘すぎずしょっぱすぎず、卵の黄身と肉の脂と絡み合い精妙な旨味を創り出している。すき焼きの黄金比とでもいおうか。肉は驚くほどに柔らかい。これが1世紀半に渡り脈々と受け継がれてきた秘伝の味だ。
「肉が柔らかいのは筋を全部取っているからです。形を見てもらえればわかりますが、少しでも筋の入ったところはすべてカットしているんです。肉屋のこだわりです」と自信たっぷりに語る伸介さん。
秘伝の味と老舗の雰囲気を大切にしていきたいという5代目の思いは、周囲をビルに囲まれた外神田の日本家屋で、しっかりと具現化されていた。

戦前の石橋牛肉店。

向かって左から仲居の可弥さん、女将の石橋㐂久江さん、5代目の伸介さん。
レポート◎山根和明(広報委員会)
食いしん坊手帖 vol.02
すき焼き割烹 いし橋
千代田区外神田3-6-8
電話:03-3251-3580
- 営業時間
17:00~21:30
(LO 20:00) - 定休日
土曜、日曜、祭日 - 席数
全6室
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