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vol.40|とんかつ 嘉らく(からく)

2026.07.01

神保町に現れた白い衣のとんかつ

黒茶味豚の特ロースカツ。低温のラードでじっくり揚げた衣は白く、断面はほのかにロゼ色。噛むほどに旨みが広がる。

神保町でとんかつ屋を開いた理由

神保町の錦華通りに面したビルの一階に、白木を基調とした清潔な店がある。「とんかつ 嘉らく」。暖簾をくぐると、カウンター9席、テーブルが3卓。厨房に立つのは、昭和36年生まれの斎藤正行さんただ一人。

開業は2025年4月9日。神保町を選んだのは、偶然とも必然とも言える縁があった。40年前、料理人としての出発点が、ここから歩いて行ける神田須田町だったからだ。

千葉・成田市の出身。高校卒業後、料理人を志し神田須田町に本店を構えていた老舗フルーツパーラー「万惣」の門を叩いた。弘化3年(1846年)創業、ホットケーキやフルーツパフェで知られたその店には、フランス料理レストランも併設されていた。斎藤さんは3年間、ここで料理の基礎をみっちり叩き込まれた。

その後、千葉市のイタリアンレストランで店長として20年を過ごした。その店がとんかつ屋も始めたこともあり、3年ほど揚げ物にも携わった。ただ、当時はまだ昔ながらのとんかつで、「今のとんかつとは全然違う」と斎藤さんは言い切る。さらに都内の飲食店で料理長として15年。気がつけば64歳になっていた。

それにしても、料理人としての長いキャリアがあるのに、なぜ再びとんかつ屋だったのか。肉の品種改良、調理器具の進化、低温調理、パン粉の配合——この10年、15年でとんかつは静かに、しかし劇的に進化した。フランス料理もイタリアンも長くやってきたからこそ、その変化の意味が分かった。進化した素材と技術を、自分の手で一から組み立て直してみたい。その一念だった。

白木を基調とした清潔な店内。カウンター9席、テーブル3卓。落ち着いた空間でとんかつと酒をゆっくり楽しめる。

特ロースカツ定食(2450円)。ご飯、味噌汁、小鉢が揃う。ボリュームがあるにもかかわらず、食後はさっぱりと軽い。

ラードと低温と、パン粉の謎

嘉らくのとんかつには、いくつかの際立った特徴がある。

最大の特徴は、その「白さ」だ。都内の名店でも使われる中屋のパン粉を採用しながら、仕上がりは全体に白っぽい。理由について店主は「パン粉の糖分を控えめにしています。糖分が多いと加熱時に色づきやすいので、それを抑えることで白く仕上がる」と語る。

さらに特徴的なのが、その白い衣をラード100%で揚げている点だ。白い仕上がりを重視する店では、色づきにくい植物性油を使うケースもあるが、同店はあえて王道のラードにこだわる。「豚ですから、ラードで揚げるのが一番肉にかなっています」。

色づきが進みやすいラードを使いながらも、糖分を控えたパン粉と低温調理を組み合わせることで、ラードならではのコクと白い衣の軽やかな食感を両立させている。

揚げ温度も低い。ヒレは130〜135度、ロースは135〜140度。一般的なとんかつ店で見られる160度台後半の揚げ温度と比べると、かなり低温だ。揚げ時間は約8分。じっくり火を通しながら、肉の中心温度を穏やかに上げていく。

「採算を考えると、この辺ではギリギリのとこですよ」と斎藤さん。時間も手間もかかるため、客の回転率は上げにくい。それでも低温にこだわるのは、肉の水分を保ちつつ、柔らかさや旨みを丁寧に引き出すためだ。

揚げた後の扱いにも哲学がある。油から上げてもすぐには包丁を入れず、しばらく休ませる。

「ラードは余熱が入りやすいんです。だから油を切りながら、残った熱でもう一度温度を入れる。上げてすぐより、ちょっと置いた方がいい」と斎藤さん。

揚げ切ってしまわず、余熱で仕上げる。数分置くことで内部の温度が穏やかに均一化し、肉汁も落ち着く。その時間が、嘉らくらしいしっとりとした柔らかさを支えている。

初ガツオのフライ。行者にんにくの醤油漬けを使った特製ソースが添えられる。季節の素材を生かしたアラカルトの一皿。

コゴミの白だし和え(450円)。野菜は基本的に千葉・八街の契約農家から届く旬の野菜を使い、季節ごとにメニューが変わる。

茶味豚と、乳酸発酵豚

この店には二種類の豚肉が使われている。鹿児島産の「茶味豚(チャーミートン)」と、「乳酸発酵豚」だ。

茶味豚は、お茶の葉を飼料に混ぜて育てた三元豚で、鹿児島全域で生産されている。「関東にはなかなか流通していませんでした。でも、昔から付き合いがあるJA鹿児島の知り合いに頼んだところ、快諾してくれて。なかなか、新規参入でいい肉を仕入れるのは難しいんですよ」。毎週、鹿児島から直送されるチルドの肉だけを使う。

乳酸発酵豚は、乳酸菌由来の技術で熟成・加工された豚肉だ。

「最大の特徴は柔らかさです。これはノムラさんから入れています」。食肉卸の株式会社ノムラといえば、大正6年に神田神保町で創業し、帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニなど首都圏の一流ホテル約300社に肉を卸す老舗だ。斎藤さん自身、40年来の付き合いがあるという。

この日いただいたのは、茶味豚の特ロースカツと、初ガツオのフライ。特ロースは断面がほのかにロゼ色で、噛むと肉の旨みがじわりと広がる。添えられたのはフランス・ブルターニュ産のゲランドの塩(セル・ド・ゲランド)。

「まず塩で食べてみてください。あとはソースで味変してもらえると」。噛むほどに滋味豊かな肉汁が口の中に広がる。ボリュームがあるにもかかわらず、食後は意外なほどさっぱりとして軽い。独自の低温調理とこだわりの衣が生み出す軽やかさだ。

カツオのフライには、行者にんにくを醤油漬けにした特製ソースが添えられた。小鉢類は千葉・八街の契約農家から届く旬の野菜を使い、季節ごとにメニューが変わる。

客層はサラリーマンが中心だが、夜はとんかつをつまみに酒を楽しむ客が徐々に増えてきた。黒板に書き出された夜のアラカルトを見れば、その理由は一目瞭然だ。新玉ネギのフライ、ノビル辛し醤油和え、こごみ白だし和え、肉厚シイタケの肉詰め焼き、行者にんにく醤油漬け——いずれも350〜650円と手頃で、一品ごとに季節の野菜が丁寧に使われている。フランス料理とイタリアンで鍛えた味覚が、和の小皿に静かに宿っている。「でも、うちはとんかつ屋ですから」と斎藤さんはあくまで和テイストにこだわる。その潔さが、かえって酒の肴として品よく映える。

神保町さくら通りで創業120余年の老舗・柿島酒店から仕入れるクラフトビール、日本酒は神保町の甲子屋酒店(きのえねやさけてん)から。肉を卸すノムラも神保町。考えてみれば、この店を支える食材と酒のほとんどが、神保町の目と鼻の先から届いている。

64歳にして初めて自分の城を構えた斎藤さんに、まだ夢は尽きない。嘉らくをいくつか店舗展開したうえで、長年温めてきたイタリアンの店も、もう一度自分の手で手掛けたいと思っている。

神保町に現れた一軒のとんかつ屋。暖簾の向こうでは、この道40年の料理人が、今日も静かに油の音を立てている。

神保町の錦華通りに面した外観。暖簾に「とんかつ 嘉らく」の文字が静かに佇む。

オーナーの斎藤正行さん。昭和36年生まれ、64歳にして初めて自分の城を構えた。

レポート◎山根和明(広報委員会)

食いしん坊手帖 vol.40

とんかつ 嘉らく(からく)

東京都千代田区神田神保町1-48
電話:03-6260-5508

  • 営業時間
    火〜土 |11:00〜15:00/17:00〜21:00
    日 |11:00〜15:00
  • 定休日
    月曜日
  • 席数
    カウンター9席/テーブル席3卓
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