
神田錦町が新たな舞台。和食の精神を宿すフレンチ

クレソン・アレノワの新芽をはじめ、彩り豊かな野菜を重ねた一皿。
和食の精神をフランス料理で
白洲次郎の妻として知られ、後に能や骨董、古典をめぐる随筆で独自の境地を開いた白洲正子はかつて『日本には料理がない』と書いた。バターや油、調味料を駆使して素材に手を加える西洋料理や中華料理とは違い、魚や野菜が本来持つ味を生かし、塩や醤油でそっと整える。それが和食の真髄だというのである。
その思想を、意外にもフランス料理で体現しようとしている店がある。神田錦町の「ORIGINe(オリジーヌ)」だ。
2026年2月に開店したばかりの、こぢんまりとしたレストランである。控えめな店構え。落ち着いた雰囲気の店内には、カウンター6席と個室が1室。厨房に立つのはシェフの吉田徹さん、サービスを担うのは妻でソムリエールの高橋里英さん。夫婦二人で切り盛りしている。
「友だちの家で食事を楽しむような感覚で過ごしていただけるよう設計しました」と笑顔で吉田シェフ。
愛媛県生まれ。父は松山で和食店を営み、母方は宇和島や伊方町に続く漁師の家系である。豊後水道の魚が日常にある環境で育った吉田さんは、19歳で料理の道へ進む。淡路島のホテルで修業した後に上京し、神楽坂「メゾン・ド・ラ・ブルゴーニュ」など都内のレストラン数軒で経験を積んだ。
転機は29歳だった。
「10年間フランス料理をやってきて、自分の料理が本当にフランス料理なのか確かめたくなったんです」。
語学も十分ではないまま渡仏。南仏ニースとパリで計7年間研鑽を積み、ミシュラン星付きレストランではスーシェフ(副料理長)も務めた。
帰国後の2017年、大阪・天満橋に「Origin」を開業。店はほどなくミシュランガイド大阪で一つ星を獲得する。
だが2025年末、その店を後進に譲り、東京へ移った。
「45歳からの10年が、経験も体力もいちばん充実していると思ったんです。だから東京で勝負したかった」。
千代田区、中央区、港区を中心に物件を探し歩いた末、神田錦町にたどり着いた。
「理想的な場所が見つかったんです」。2026年2月22日、「ORIGINe」が産声を上げた。
店名は「起源」「原点」を意味する。大阪時代の「Origin」から表記は変わったが、目指す料理は変わらない。素材の起源に立ち返ること。それが吉田さんの料理の出発点である。

落ち着いた雰囲気の個室。最大8名まで収容可能。貸し切りにも対応している。

ムラサキウニとコンソメジュレ。岩手県と北海道から状態のよいものを選び、殻ごと供する。一日がかりで澄ませたコンソメに昆布を加え、海の旨味を重ねた
素材以上の味をつけない
「四方を海に囲まれた日本では、鮮度と素材感を前面に出したほうがいいんです。素材以上の味をつけないという和食の姿勢を、フランス料理の技法に組み込みたいと思っています」
パリの星付きレストランでスーシェフを務めた料理人が行き着いたのは、白洲正子が半世紀以上前に綴った言葉と、不思議なほど近い場所だった。
その考えを最も端的に表していたのが、一皿目のムラサキウニである。
ウニは岩手県と北海道から、その時の状態を見て選ぶ。殻ごと供されたウニの中で、コンソメジュレが静かに揺れている。コンソメは牛筋や挽き肉、香味野菜を使って一日がかりで澄ませたもの。そこへ昆布を加え、海の旨味を重ねた。
スプーンを入れると、ジュレがゆっくりと崩れる。ウニの甘みと出汁の旨味が混ざり合い、余韻だけが静かに残る。フランス料理の技法で仕立てながら、口に広がるのは紛れもなく日本の海の味だった。
しかも、そのウニの棘はまだかすかに動いている。
「新鮮な素材をお客様に届けたいんです。こういう料理は日本だからできることだと思います」。
素材が持つ生命力まで皿の上に運ぼうとする姿勢に、吉田さんの料理観がよく表れていた。
続いて供されたのはイサキのグリエ。皮目を香ばしく焼き上げ、トマトとワインビネガーのソースを添える。上にはセロリ、赤パプリカ、きゅうり、そしてクレソン・アレノワの新芽。畑で採れるクレソンの仲間で、甘みの中にほのかな辛みがある。
「クリームもバターも使わず、そのものの味をまっすぐ出したいんです」。
脂の乗った白身にトマトの酸味が重なり、軽やかな余韻を残す。素材の輪郭を曇らせないという考え方は、ここでも変わらない。

アワビのネトルソース。山口県産のアワビを西洋イラクサ(ネトル)のソースで仕立てる。アワビの肝を使った焼きリゾットを添え、一匹を余すことなく使い切る。

神田錦町の一室に佇む外観。控えめな看板だけが店の存在を示す。
素材を余さず使い切る
この日、最も印象に残ったのがアワビの一皿である。山口県産のアワビを、西洋イラクサ(ネトル)のソースで仕立てる。フランスではエスカルゴに合わせることの多い香草だが、吉田さんはその野趣ある香りに、アワビの磯の風味と通じるものを感じたという。
フランス語でアワビは「オレイユ・ドゥ・メール」、海の耳。その名にちなみ、皿には豚の耳も食感のアクセントに忍ばせた。アワビの濃厚な肝を使った焼きリゾットを添え、一匹を余すことなく使い切る。フランスの高級店では食材の使える部分だけを取り、残りは捨てることも珍しくないという。吉田さんはずっと、その光景が腑に落ちなかった。
フランス料理の技法を重ねながらも、吉田さんの視線は最後まで素材から離れない。柔らかく火を入れた身、凝縮した肝の旨味、香草の野趣。複雑な要素を重ねながらも、最後に残るのはアワビそのものの存在感だった。
料理によって素材を変えるのではない。素材が本来持つ力を、料理によって引き出す。その姿勢こそが、ORIGINe のフランス料理を特別なものにしている。
ワインはボトルリストをフランス中心に組みながら、ペアリングにはポルトガルをはじめ各国のものを織り交ぜる。ホールの里英さんはミシュラン二つ星の店でキャリアを積んだソムリエール。料理との掛け合わせは、全面的に彼女に任せている。
定休日はない。来たくても来られない人が出てしまうからだ。
「正直、竹橋という駅名は知りませんでしたが、とてもいいところですよ。来てくれたお客さんも、みんなそう言ってくれます」。
江戸の物資を運ぶ舟が行き交った錦町河岸と一ツ橋河岸の間、皇居を背にしたその一室で、今夜も鮮度抜群の魚介がフランス料理に姿を変える。

長いカウンターが印象的な店内。「友だちの家で食事を楽しむような感覚で」という吉田さんの言葉通り、温もりのある空間だ。

シェフの吉田徹さんと、ソムリエールの妻・高橋里英さん。夫婦二人でこの店を切り盛りする。
レポート◎山根和明(広報委員会)
食いしん坊手帖 vol.41
東京都千代田区神田錦町3-19-5
廣瀬第3ビル1F
電話:03-6692-3324
- 営業時間
月〜金 |18:00〜23:00
土日 |12:00〜15:00・18:00〜23:00 - 定休日
なし - 席数
カウンター9席/テーブル席3卓カウンター6席/個室8席
※コースのみ。旬の魚介を中心に、季節ごとに内容が変わる
当ページに掲載している情報は、『法人なかま』発行当時のものです。現在の情報とは異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

