
神田の路地に佇む、ワインと小皿料理の小箱

黒トリュフのオムレツ(1,200円)。イタリア産トリュフペーストと生クリーム、粉チーズを合わせた、同店の看板料理。ふんわりとした口当たりの奥から、トリュフの香りが広がる。赤ワインとの相性も抜群だ
「米穀店」という名前の謎
神田小川町と神保町の間の路地に、少し奇妙な名前の店がある。「関山米穀店」。看板を見た瞬間、誰もが首をかしげるだろう。米屋なのか、と。
扉を開けると、細長いカウンターが7席、奥にテーブルが数席。白い壁にワインセラーが据えられ、瓶が整然と並ぶ。オーナーの関山真平さんが一人で厨房に立ち、グラスを磨き、料理をつくり、ワインの説明をする。米穀店という店名の由来を聞くと、関山さんは少し照れたように笑った。「実家が代々米屋をやっていて、その屋号をそのまま使いました」。茨城県日立市の米穀店の屋号を、神田の路地のワインバーに冠した。米とワインの取り合わせは一見ちぐはぐに見えるが、むしろその落差が、この店の個性をひと言で物語っている。
その言葉通り、この店はジャンルに収まらない。フランスあり、イタリアあり、スペインあり。「ワインと小皿料理の店」と言うのが一番近いかもしれない。食べログの分類は「ビストロ」だが、関山さん自身はその括りにこだわっていない。「ワインがメインで、それに合う料理を出す。それだけです」。
関山さんは現在46歳。大学を卒業後、新卒で入った営業職を半年で辞め、学生時代に訪れたことのあったスペインへ再び渡った。サッカーへの愛とガウディの建築への憧れが半分、もう半分は漠然とした料理への予感。帰国後、東京のスペイン料理店を皮切りに、イタリアンやワインバーなど都内の飲食店で約十年を過ごした。なかでも長く勤めた銀座のワイン酒場では、料理とワインの両方を担当した。「ワインはそれまであまり知らなくて、むしろビールの方が好きだったんです」。ところが、その店でフランスのワイナリー巡りに連れて行ってもらったことで、考えが変わった。30歳を過ぎてソムリエ資格を取得し、ワインを軸に据えた自分の店を構想するようになった。
35歳を目処に独立する、と決めていた。物件探しは江東区や中央区あたりから始めたが、一人でやれる10坪前後の箱がなかなか見つからない。探す範囲を広げていたある日、たまたま通りかかった神田小川町の路地に、「今まで有難うございました」という張り紙が出た和食店を見つけた。まだ情報として市場に出る前のタイミングだった。ビルオーナーに問い合わせると、日立出身の方だという。「縁を感じましたね」。2015年8月、関山米穀店が産声を上げた。

靖国通りから一本入った路地に佇む外観。暖簾と「WINE & TAPAS SEKIYAMA BEIKOKUTEN」の文字、店先に並べられたワインボトルが目を引く

イサキの炙りカルパッチョと焼きナスのマリネ(1,600円)。皮目をバーナーで炙ったイサキを、バルサミコ風味の焼きナスの上に重ね、マイクロハーブを添えた一皿。香ばしさと酸味が重なり、白ワインを呼び込む
黒トリュフのオムレツと、一期一会のワイン
メニューは基本的にアラカルトだ。ワインはメニュー表がない。関山さんがワインのボトルを直接客に見せながら、産地、造り手、味わいの傾向を手短に説明する。フランスのブルゴーニュ、イタリア北部のフレイザ・ダスティ、南フランスのシラー主体のキュヴェ——その日のラインナップから、料理や気分に合わせて選ぶ。「赤、白、スパークリングを合わせてグラス5、6種類は常に入れています」。フランス、イタリアが中心で、近年は気候の変化を受けて、ドイツやオーストリアなど冷涼なエリアのワインも増えてきた。
以前、声が出なくなる体調不良で数日休んだことがあった。ワインのリストがないこの店では、口頭での説明ができなければ成立しない。「あの時はさすがにきつかった」と関山さんは苦笑する。それ以来、閉店後に皇居を一周走るのが習慣になった。深夜12時を過ぎると皇居周辺は静まりかえり、ランナーの姿もほとんどない。「無料で走れて、誰もいなくて、気持ちいい」。健康管理は、ワンオペの店を11年続けるための最重要課題だ。
この店を訪れたなら、まず黒トリュフのオムレツを頼んでほしい。半熟に仕上げた卵の中に、イタリア産のトリュフペーストが忍ばせてある。生クリームと粉チーズがコクを支え、口に入れた瞬間、トリュフの香りがふわりと広がる。この料理は前職の銀座時代に関山さんが考案し、グループ全体の定番メニューになった一皿を、独立後もそのまま継承したものだ。女性客を中心に、この一皿目当てに遠くから来る客も少なくない。「赤ワインでも合いますが、個人的にはオレンジワインや皮ごと仕込んだ白ワインが一番合うと思っています」。
もう一皿、この日用意してくれたのがイサキの炙りカルパッチョと焼きナスのマリネだ。皮目だけをバーナーで炙り、スライスした身を焼きナスの上に重ねる。ナスは「美ーナス」という銘柄のもので、火を入れてもある程度食感が残り、トロリとしすぎない。バルサミコを効かせたマリネと、マイクロハーブの彩り。香ばしさと酸味が、冷えた白ワインをごく自然に呼び込む。食材は築地が豊洲に移ってからは業者に頼むことが増えたが、日本橋の百貨店の食品売り場も積極的に使うという。「規模が小さいので量は要らない。デパ地下は意外と宝庫で、鮮度のいいものが少量から買える」。

カウンター越しに関山さんの手さばきを間近に眺める。右壁一面を埋め尽くすワインボトルと、天井から吊るされたグラスが、10席足らずの空間にワインバーらしい雰囲気を醸し出す

モッツァレラチーズとドライトマトを挟んだ豚のカツレツ。薄く叩いた豚肉にパン粉をまとわせ、きつね色に揚げたイタリア伝統の一皿。チーズとトマトの酸味が肉に絡み、赤ワインが進む(時価)
この街で、この規模で、一人で続けること
客の7〜8割は女性だという。年齢層は30〜40代が中心で、平日は近隣のオフィスワーカーが仕事終わりに立ち寄るケースも多いが、ワインを目指してわざわざ足を運ぶ常連も少なくない。予約は金曜日だと2〜3週間前には埋まる。当日入れるかどうかは時間帯次第だが、一見客が来やすいよう、予約の谷間も意識的に確保している。
関山さんが一人でやると決めたのは、長年の飲食業勤務で人を束ねることの難しさを身をもって知ったからだ。
「採用と育成のサイクルを繰り返すのは、自分には向いていないと思ったんです」。ワンオペのストレスよりも、人を束ねるストレスの方が大きいと判断した。今のところその選択を後悔したことはない。
今は神田錦町に家族と住む。3年生の息子と1年生の娘はお茶の水小学校に通い、神田祭にも家族で参加する。仕込みに入る昼前から閉店まで店に立ち、深夜に皇居を走って帰る。そんな一日を、11年間積み重ねてきた。
「店舗を増やすつもりはないです。売上はゆるやかに上がっていますが、急ぐつもりもない。今のお客さんと、今の規模で、ちゃんと続けていければ」。静かな口調の中に、揺らぎのない確信がある。神田の路地の小箱で、今夜もワインの抜栓音が響く。

その日のグラスワインのラインナップ。ボトルに直接価格を書き込むのがこの店のスタイル。左からピク・サン・ルー、フレイザ・ダスティ、メルロ・ア・ラ・ブッシュ、ボジョレー・ヴィラージュ・プリムール2024。いずれも個性派の自然派ワインだ

オーナーの関山真平さん。ワインとサッカーをこよなく愛す46歳。2015年の開業から一人で厨房を守り続けている
レポート◎山根和明(広報委員会)
食いしん坊手帖 vol.39
東京都千代田区神田小川町3-9
AS ONE神田小川町ビル1F
電話:03-5244-5446
- 営業時間:月〜金 16:00〜23:00/土 16:00〜22:00
- 定休日:日曜日
- 席数:カウンター7席/テーブル3席(最大5名まで)
- ワインを平日2杯、金・土は3杯以上ご注文いただくようお願いしています

