─これは五十年前のチラシ(右写真)ですね。
「うな丼150円、蒲焼き300円より」とあるでしょう。この頃の値段はそばの約10倍とバランスがとれていたんです。何かお祝い事があると、大量に出前があったものです。今やそばが高くなってしまって、そば500円としてうなぎが5,000円じゃお客がきませんよ。だからいろいろと工夫をしないと。
─ご自慢のメニューがあるそうですが。
うなぎ一匹丸ごと料理、というコースなんですが、まず尾の身の白焼。「骨地獄」(骨の唐揚げ)、「あ玉ヶ池」(お玉ヶ池でなく「あたま」。頭の唐揚げ)、肝佃、「汗」(鰻を蒸すときに出る脂、エキスを薄めた塩味のスープ)、蒲焼(前身)、そして御飯と漬物。これで二千円。それと、鰻のたれだけの「うなだれ丼」200円。これは洒落がきつすぎるのか、ほとんど注文がありませんけどね。
─お玉ヶ池寄席が十年も続いたとか。
昔は町内に寄席が必ずあった。私なども人形町の末広へよく通ったものです。それが閉まるというんで、若手芸人たちにその場を提供しようと、木造の店の頃二階にあった大広間で昭和五十一年から年四〜五回、十年ほど続けました。三遊亭小金馬という真打ちも生まれ、五十回という節目でこの寄席は閉めました。今は地域の「和泉橋寄席」に参画しています。
─最後にこれからのことを少し。
大学院で心理学を修めた息子がいますが、真面目に仕事をし店を残してくれるなら、六代目を継ぐのは他人でもいいと思っています。この仕事はセンスですから。
それとこれはぜひ言いたいんだけど、ここは神田松枝町という由緒ある町。せめて町会名だけにでも復活させようと、いま運動しているところなんです。
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五十年前のチラシ。店は木造、うな丼150円とある


二階の客席には見事な御神輿 が鎮座している。 作者は浅草寺五重塔を手掛けた、 飾り金物師・松村清氏 |