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江戸の「粋」を今に伝える 神田お玉ヶ池 名代蒲焼

ふな亀




五代目主人、祭りと寄席大好きの内田さん




四角い明かりが目立つ店前

 その昔は繊維や金物の問屋街、いまや殺風景なビル街の一角に何やら不思議な雰囲気が漂ううなぎ屋があった。創業は幕末という。神田お玉ヶ池という地名にこだわるここの主人は、自分の店で「お玉ヶ池寄席」を十年も続けた人。神田っ子の心意気をうかがう。

─まず店名から。うなぎなのに何故ふな?

 本家が千住で鯉や鮒などの川魚問屋を幕府御用でやっており、その分家の鮒屋亀吉が神田お玉ヶ池でうなぎ屋を開いたのが始まり。弘化二年(1845)、もうすぐ黒船という時代。これが初代で、千住は日光街道の宿で賑わってはいたが、一旗揚げようと一念発起したのでしょうね。私で五代目です。

─この地にお玉ヶ池という池があった。

 悲恋伝説のある、かなり大きな池だったらしい。江戸の町づくりのために埋め立てられたのでしょう。亀吉が出てきた頃にはすでに池はなかったはずです。震災と戦災で焼かれて戦後建てた木造の店も、埋め立て地で地盤がゆるいもんだから、地下鉄工事などで障子が開かなくなった。仕方なく二十年ほど前にビルに建てかえた。残したかったんだけどね。木造の店を懐かしむお客さんがまだいますよ。
─これは五十年前のチラシ(右写真)ですね。

 「うな丼150円、蒲焼き300円より」とあるでしょう。この頃の値段はそばの約10倍とバランスがとれていたんです。何かお祝い事があると、大量に出前があったものです。今やそばが高くなってしまって、そば500円としてうなぎが5,000円じゃお客がきませんよ。だからいろいろと工夫をしないと。

─ご自慢のメニューがあるそうですが。

 うなぎ一匹丸ごと料理、というコースなんですが、まず尾の身の白焼。「骨地獄」(骨の唐揚げ)、「あ玉ヶ池」(お玉ヶ池でなく「あたま」。頭の唐揚げ)、肝佃、「汗」(鰻を蒸すときに出る脂、エキスを薄めた塩味のスープ)、蒲焼(前身)、そして御飯と漬物。これで二千円。それと、鰻のたれだけの「うなだれ丼」200円。これは洒落がきつすぎるのか、ほとんど注文がありませんけどね。

─お玉ヶ池寄席が十年も続いたとか。

 昔は町内に寄席が必ずあった。私なども人形町の末広へよく通ったものです。それが閉まるというんで、若手芸人たちにその場を提供しようと、木造の店の頃二階にあった大広間で昭和五十一年から年四〜五回、十年ほど続けました。三遊亭小金馬という真打ちも生まれ、五十回という節目でこの寄席は閉めました。今は地域の「和泉橋寄席」に参画しています。

─最後にこれからのことを少し。

 大学院で心理学を修めた息子がいますが、真面目に仕事をし店を残してくれるなら、六代目を継ぐのは他人でもいいと思っています。この仕事はセンスですから。 それとこれはぜひ言いたいんだけど、ここは神田松枝町という由緒ある町。せめて町会名だけにでも復活させようと、いま運動しているところなんです。





五十年前のチラシ。店は木造、うな丼150円とある




二階の客席には見事な御神輿
が鎮座している。
作者は浅草寺五重塔を手掛けた、
飾り金物師・松村清氏
会 社 名株式会社 ふな亀 ふながめ(創業1845年)
住  所東京都 千代田区 岩本町 2−5−9
電  話03−3866−0279(予約係)
事業内容うなぎ料理各種。夜はショットバーも

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