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文人墨客に愛された「筆」 書道文化の復活を願って

玉川堂(ぎょくせんどう) 筆墨硯紙老舗

 



けやき製の筆函を背に玉川堂の歩みを語る齋藤さん





明治の頃は「玉川堂茶亭」という貸席もやっていた

 折から靖国通りは恒例の「古本まつり」で賑わいを見せていた。神保町から九段に向かって左手、見事なけやきの大看板。「最近はパソコン全盛で、若い人が筆をとらなくなったのが残念です」と齋藤さん。その190年に及ぶ商いの歩みは、日本文化の伝承に他ならない。

─ご創業が文政元年(1812)、この地でですか?

 二回移っています。初代和助が店を出したのが町人町九段上中坂。里見八犬伝の滝沢馬琴が日記に「玉川堂で筆を買った」と書いています。それから九段下の俎橋(まないたばし)の船着場の近くに移って間口が広がりました。現在地へは明治の末に移っています。私で八代目。なぜ「玉川堂」と名付けたのかは、残念ながら不明です。

─「玉川堂茶亭」(左写真)というのは何でしょうか。

 元々は筆墨硯紙を売る「筆屋」でしたが、裏手で小さな茶亭(貸席)も営んでいました。当時神田は大学と本屋さんの町で、当時の学者文人墨客に使っていただきました。神田川の清流を眺めながら「曲水の宴」みたいだったのでしょう。初めて習字の国定教科書を書かれた長三洲(ちょうさんしゅう)先生の漢詩の会「玉川吟社」も定期的に開かれ、順天堂大学で助手をしていた野口英世博士の渡米の歓送会も、ささやかにここで行われたという話です。
─表の看板をはじめ貴重な「額」 も多い。

 書家の中林梧竹(なかばやしごちく)二・二六事件で暗殺された犬養毅首相(号は木堂)をはじめ、中国の大画家張大千先生などいろいろと。学生時代の夏目漱石や、永井荷風もよく見えていたらしい。こうした有名な方々ばかりではなく、東洋史に詳しく独学で書を習得したアメリカ人のご夫妻ら、西洋にも書のよき理解者はいます。それより何より、親子三代にわたってずっと愛用し続けてくださるお客様が、最大の宝だと思っています。

─最近の書道人口はどうなんでしょうか。

 少子化の影響が大きいですね。書道は学校の正課ですが、教える先生が少ないのが現状です。熟年層、それも圧倒的に女性優位。ビジネスマンの写経や絵手紙など新分野が出てきていますが、爆発的な需要増には結び付きません。とにかく筆どころか、現代人が文字を書かなくなってしまった。年賀状ですらパソコンまかせです。コピーをとる、機械で難しい字を打って、覚えた、書けたと錯覚する。嘆かわしい限りですね。

─それでは今後の展望はいかがですか。

 行くところまで行ったら、必ずゆり戻しがあると信じています。本物志向というか、心のこもっていないものは流行らない、古いものの良さを見直す風潮もあります。筆墨硯紙は、古いものほどよいのです。若い方にも筆の文化に触れ、その良さを知るヒントを提供してゆきたい。柔軟な発想によって筆屋として個性を出してゆきたいと思います。



表の看板は大正の大書家丹羽海鶴の筆による





大小の筆など、文房四宝が所狭しと店内に並ぶ
─最後に後継者の問題について。

 私は長男で、三十歳のときに家業を継ぎました。以来三十余年、筆屋の主人です。夢は生涯現役。子供は男女三人おりますが、継ぐのは本人次第です。
会 社 名有限会社 玉川堂 ぎょくせんどう(創業1812年)
住  所東京都 千代田区 神田神保町 3-3
電  話03−3264−3741(代表)
事業内容筆、墨、硯、紙、書道書籍、篆刻用品、表装など

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