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二百年“生き続ける”たれ 変わらぬ辛口の蒲焼き

神田川本店




十一代店主の 神田 茂さん





秘伝のたれ
二百年前の成分も少しは?


 太い丸太の門柱に続く年期の入った板塀。ビジネス街のビルの狭間、純和風の二階建ては昭和二十七年の再建という。水を打った美しい玄関を入ると、そこは“明治の風”がながれる「異空間」のよう。江戸後期から約二百年続く蒲焼きの老舗は、辛めの味とともに、日本の伝統文化を守り続けているようだ。

─ご創業が文化二年(1805)、来年二百周年。

 幕府の賄い方に勤めていた初代(三河屋茂兵衛)が、武士をやめ、当時流行りだした鰻の蒲焼に目を付け、近くにあった青果市場に出入りする人々を相手に、現在の万世橋近くで商いをはじめた。よしず張りの屋台。その頃鰻はあまり上品な食べ物ではなかったが、栄養があり力がつくと評判に。明治維新後、今の地に移り「神田川」を名乗るようになった。

─戦時中は「たれ」を疎開させたとか。

 鰻屋にとってやはり「たれ」が命です。「たれ」さえあれば、どこででもうちの味を提供できる。祖母に聞いた話では、一升瓶に詰めて臘で封印し、何個所かに分けて人間様より先に疎開させたとか。それと屋台の時代から注ぎ足し、注ぎ足し使ってきたこと。息を入れながら「たれ」を「育てて」きた。感覚的には「生きもの」と同じです。どこに居ても「たれ」のことが頭の隅から離れません。
─従って、味はずっと変わらずに。

 うちの味は創業の頃から辛めでした。しかし迷ったこともあります。世の嗜好の変化、お客様の「辛すぎる」という声もあって。でも迷った末に「昔のままでいこう」と腹をくくった。それで楽になりました。一番嬉しいのは「子供の頃、爺さんに連れてきてもらった時の味と変わってないね」といわれること。逆に変えざるを得ないことも。例えば、竹の串、団扇、炭。昔の質にはやはりかなわない。職人にとってはやりにくいはずです。

─「伝統の技」が伝わりにくい時代ですよね。

 割き三年、串うち八年、焼き一生なんていわれていますが、鰻の調理、極めて単純なんです。手返し百ぺんとか。単純なものほど奥が深い、ということがなかなか理解してもらえない。よく出来たと思ったらそこで止まってしまうよ、とよく言うんです。それと、今の若者は技術を「盗む」ということが理解できない。何でも教えてもらいたがる。ハングリーさに欠けることはスポーツをはじめ、どの世界でも同じかもしれませんが。

─今月は土用の丑。でも、鰻の旬は違うと。

 初冬の下り鰻。産卵に向けてたっぷり餌を食べ、脂がのって一番美味だと。でもこれは天然鰻が豊富な時代の話で、養殖技術が発達した現代では、そう変わらないと思います。



太い木の門柱と板塀が時代を感じさせる





日本庭園を見るような玄関からの眺め
─こちらはお座敷だけですね。

 そう、今では少なくなったかも知れません。座敷で座って食べる、一つの文化を継承していくべきだとは思いますが、座るのがつらいとおっしゃる方も増えてきた。堀炬燵にするなど、一部椅子席への改造も考えています。やはり時代ですね。
会 社 名 神田川本店 かんだがわほんてん(創業1805年)
住  所東京都 千代田区 外神田 2-5-11
電  話03-3251-5031(代)
事業内容御蒲焼、御料理

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