
青森を出てから、青森を知った。
神田猿楽町にたたずむ望郷の割烹

青森県の形をかたどった特注の器に盛られた刺身。イシナギ、キジハタ、マダイの湯霜造り。魚は青森から直送される。
神保町の路地裏に、木格子の引き戸
神保町駅から歩いて数分。学生街の喧騒を抜け、錦華通りと猿楽町通りに挟まれた細い路地に入ると、赤煉瓦の建物の隙間に、木格子の引き戸がひっそりと佇んでいる。両脇には青々とした植栽が添えられ、看板は控えめな行灯がひとつ。「あずましく」と書かれた文字だけが、ここが店であることを教えてくれる。津軽弁で「ほっとする」「落ち着く」を意味する言葉だという。青森割烹あずましく。路地裏の一軒である。
戸を開けると、幅の広いカウンターが目に入る。「青森の民家をイメージした」と店主の齊藤信弘さんは言う。田舎の家の食卓はどれも大きく、みんなが自然と集まってくる。そんな光景を思い描き、内装業者にはとにかくテーブルを広く大きく作ってほしいと注文したという。使われている木は、長野の古民家で使われていたものを再生した古材だ。奥には6名まで利用できる半個室も備える。この空間だけで、これから始まる料理への期待が高まる。
コース料理が中心だが、アラカルトも用意されている。カウンターに着くと、刺身の盛り合わせが運ばれてきた。まず目を引いたのは皿の形だった。青森県の輪郭そのままに作られた特注品である。イシナギ、キジハタ、そしてマダイの湯霜造り。イシナギはクエに似た大型魚で、大きなものでは1mを超える高級魚。キジハタはちょうどこの時期が旬で、日本海側で揚がる。目利きと活け締め、神経締めに定評のある青森市の塩屋魚店から直送されているだけあって、いずれの刺身も熟成をかけていないのに旨味がしっかりと乗っている。特に、マダイは滋味が濃い。「陸奥湾のマダイはエビやカニなどの甲殻類をよく食べるそうで、だから味が濃いんですかね」と齊藤さん。日本海と太平洋、その二つをつなぐ津軽海峡。三方を海に囲まれた青森は、海が変われば獲れる魚も、その味わいも変わる。
齊藤さんは弘前市の出身。高校まで柔道一筋で、大学は郷里を離れて柔道の強豪校として知られる国際武道大学に進んだ。和食の道に入ったのは、警備会社への就職が内定していたところを、友人の「一緒に飲食業界どうだ」という一言で方向転換したことがきっかけだった。銀座・表参道の和食店で6、7年、板場から店長までを経験し、2023年、33歳のときにこの路地裏に店を開いた。

「青森の民家」をイメージした店内。古民家の古材を使った幅広のカウンターが客を迎える。

神田猿楽町の路地裏に佇む「あずましく」。店名は津軽弁で「ほっとする」「落ち着く」の意。

店主の齊藤信弘さん。青森県弘前市出身。東京で故郷の食の豊かさに気づき、2023年に「あずましく」をオープン。
「これ、どうやって食べるの」
齊藤さんが青森の食を意識したのは、地元にいた頃ではなく、東京に出てからのことだった。26、27歳の頃、勤めていた銀座の店にホヤが届いたことがある。青森育ちの齊藤さんにとっては見慣れた食材だったが、神奈川出身の料理長は捌いたことがなかった。「これどうやって食べるの、って聞かれたんです」と齊藤さんは振り返る。自分には当たり前だったものが、東京ではまったく知られていない。その差に驚いたのが、地元の食を見つめ直すきっかけになったという。
肉料理には八甲田牛と、イノシシの内もも肉が並んだ。
「和牛にも黒毛種や短角種などがあり、八甲田牛は日本短角種なんです。赤身の旨みがすごく強くて、脂身の多い黒毛種よりもお客様の年齢層的にこちらの方が好まれますね」。
八甲田牛に添えられた青森りんごのソースは、醤油とみりん、酒でりんごを煮詰めてミキサーにかけたもの。イノシシには自家製のニンニク味噌が添えられた。もとは今別で豪雪地帯の冬の副業として飼われていたイノシシで、今は県外から来た研究者が飼育を続けている。齊藤さんが数年前に契約してから、いつでも出せる一皿になっているという。
どちらも炭で表面を焼いてから低温のオーブンでじっくり火を入れる。ニンニク味噌に使われるニンニクも、土鍋で炊いた白飯に添えられる米も、青森の知人から届く。米の品種は「はれわたり」。高温による品質低下などの課題があった「つがるロマン」に代わる品種として開発された青森の新しい米だ。天然のキノコが出る時期には、母や友人から「どこどこに松茸が出るらしい」と連絡が入り、買って送ってもらうこともあるそうだ。仕入れ先はこうして年々増えているという。日本酒もすべて青森県産。弘前城の周辺には自転車で回れるほど酒蔵があり、齊藤さんにとって馴染み深い酒ばかりだという。

イノシシの内もも肉を炭火で焼き、じっくりと火を入れた一皿。青森産ニンニクを使った自家製のニンニク味噌を添える。
インフルエンサーより、口コミ
夏はウニ、アワビ、ホヤなどの海産物が揃う。7月はアワビ、ウニ、サザエ、天然ウナギなど特に食材が豊富で、8月に入るとアワビは徐々に姿を消す。ホヤは5月から7月ごろが中心で、年によっては8月まで楽しめるという。青森はフグの産地としてはあまり知られていないが、トラフグ、サバフグ、マフグ、ヒガンフグなど一通り揃う。この号が届く10月はマグロ漁が本格化する時期で、旬を迎えた松茸や舞茸などの天然きのこも料理に並ぶ。
冬になれば津軽海峡のアンコウ、マダラの白子を使ったじゃっぱ汁、そして津軽地方の郷土料理・けの汁も登場する。大根や人参、ごぼうなどの根菜、山菜、油揚げ、凍み豆腐、大豆などを細かく刻んで煮込む、小正月の行事食だ。津軽地方では雑煮の代わりに正月に食べる家も多いという。
開業当初は「2日連続で誰も来ない」ことがあったという。インフルエンサーに宣伝を頼んだこともあるが、「あまり意味がなかった」。結局この店を支えたのは、近隣の客が広げてくれた口コミだった。出版関係、ゼネコン関係の客が多く、京都・大阪からの紹介客につながったこともある。今年6月からは、飲み放題込み8,800円の昼コースも始めた。「土日の昼に食事して飲みたい方は多いですし、夜はゆっくりしたいという方も多いので」と、需要を見ての判断だった。
「青森にこんな食材があるよ、こういうものを作っている人がいるよ、っていうのをアピールしたい」。
店を始めてから、高校時代の後輩が育てるセリを使うようになり、米農家の友人からは米やジャガイモが届くようになった。イノシシを育てる農家ともつながった。天然のキノコが出れば、母や友人から情報が入る。
「お店をオープンしてからつながりが増えて、使える食材も増えていますね」。
青森を出て、東京で青森の食の豊かさを知った齊藤さん。いま、縁もゆかりもなかった神田の路地裏に店を構え、故郷との縁をむしろ深めている。

赤身の旨みが濃い八甲田牛。炭で表面を焼き、低温のオーブンでじっくりと火を入れる。

土鍋でふっくらと炊き上げる青森県産米「はれわたり」。米も青森の知人から届く。
レポート◎山根和明(広報委員会)
食いしん坊手帖 vol.43
東京都千代田区神田猿楽町1-4-2
アサノビル1F
電話:03-5244-5618
- 営業時間
・昼
11:00〜14:00(水〜日、13:00最終入店、2日前までの完全予約制)
・夜
17:30〜23:00 - 定休日
不定休 - 席数
14席(カウンター8席、テーブル6席)※8名〜貸切可(あずましくコース利用時、要相談)
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