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肩肘を張らずに… 時代が求めるすしの店

神保町 いろは寿司



神保町交差点すぐ。9階建ての
自社ビルの地下にお店がある。




「親しまれるお店に」と四代目社長の目崎さん。


 古書街として名高い神田神保町。その交差点、小川町寄りわずか数メートルの所に、外壁が黒い石貼りの9階建のビルがある。その地下1階、一見高級店のようだが千円以下のランチメニューもある、気取りのない寿司のお店だ。「もともとここは学生の町。高級な店はやっていけません。“いろは”という名のとおり、気軽に親しんでいただきたいですね」と四代目社長の目崎さん。ここには老舗特有の堅苦しさがみじんもない。

─ご創業が明治22年。優に100年を超えています。

 新潟出身の祖父の兄がこの地で創業、すしが中心の料理屋だったという。この初代には子供がなく、祖父が引き継いで二代目。この祖父は淡路町で天ぷら屋をやっていましたが、その店をたたみ、神保町の店を引き受けました。私の父がこれを継いで三代目。そして私が四代目ということに。店名の“いろは”ですが、手習いで始めた商売だったから…というんですがこの話、本当かどうか。

─三代目はすし専門だったのですか?

 父はいろいろなことをやった人。天ぷら、すし、うなぎから洋食の店も手掛けたらしい。デパートの“お好み食堂”何でも揃っている。そんな店をやりたかったらしいのです。でも基本はすしで、支店はすし専門でひと頃は相当数出したらしいんだけど、いまは2軒だけ。毎日新聞のパレスサイドビルと、五反田のTOCビルの地下。
─すしの業界もいろいろ競争が激しくて…。

 回転ずしや立喰いの安いお店も増えています。一方でのれんを誇る高級なお店。うちのような中間層が一番大変だと思います。それと町が変わってしまった。昔は裏の方は普通の住宅、印刷などの家内工業があって出前も盛んで売上げの半分以上。店員もみんな住み込みで2段ベッドがずらり。自転車も10台位あったかな。いまや人口も減るし、ピザ屋さんとか他の出前もどんどん増えてきてる。

─このビルは高級店のイメージですが。

 昭和の終り頃建てた。ビルでも建てて借金しないと相続が大変だということで。高級な店(地下)を目指した時代でした。1階と2階は私の兄弟が和食とか洋食とか試行錯誤してやっていて、あとはテナントビルです。地の利が良いのでこちらの方は安定していますね。

─社長が四代目を継がれたのは…。

 8年ほど前です。長男ですから仕方なく(笑)父は早く譲ってのんびりしたかったのでしょう。なかなか迫力のある人で、町内の相談役のようなことをしていた。問題があると出ていって解決する。重宝がられていたようです。

─最後にこれからのことを少し…。

 私は昔は出前もしていましたし、もっぱら裏方の仕事です。店の方は若い店長を抜擢しましたし、若い感性で時代のニーズにあった店づくりを、と期待しています。歴史があるからといって、頑なにのれんにかじりつくのでなく、柔軟な発想で乗り切っていくしかない、と考えています。



高級感のある店内。






「カウンターにもお気軽に」と本店店長の川崎辰也さん。
会 社 名株式会社 いろは(創業1889年)
住  所東京都 千代田区 神田神保町1-10-1
電  話03-3293-1688
事業内容寿司

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