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ユニークさを“売り”に、坦々と歩んだ、百余年

印刷の 昇文堂




「ネット経由で仕事がくる。想像も出来なかった」と語る四代目社長の斎田さん。




ビルの1階が工場、2階が事務所。社長は
最上階の自宅から“エレベーター通勤”。

 大手企業から家内工業まで、星の数ほどある印刷業の中で、創業から百余年の暖簾を守り続けること、それは容易なことではないだろう。「ただ細々と続けてきただけ…」と四代目社長は謙遜するが、自前の技術に磨きをかけ、慎重に、堅実に、分相応を忘れなかったからではないか。「他の嫌がる仕事を、坦々とこなしてきた…」この辺にも、時代の荒波に耐え抜く秘訣あったのではなかろうか。

─ご創業が明治32年。初代はどんな方ですか。

 斎田鶴松。越中富山の出身で20歳の頃に上京して大蔵省造幣局の職人になった。つまり紙幣の印刷工です。10年ほど勤めた後一念発起、自分の店(石版印刷業昇文堂齋田印刷所)を持った。当時の印刷は木版から石版へ移行する時期で、その新技術に目を付けて外国人技師から学んだという。店は神田同朋町、いまの外神田(明神下)あたりでした。

─かなり先見の明がおありだった。

 現代でいえば、コンピュータシステムを最初に導入した…というところでしょうか。実行力とともに体力もあった。重い石版をかなり高齢まで自分で扱っていたという。明治の人は迫力が違います。関東大震災で末広町に移り、設備補充のため昭和10年に現在の地に工場を移転した。ところが今度は戦災です。
─社長は何代目ということになるのでしょう。

 鶴松の長男が私の父・政司でこれが二代目。歌舞伎が大好きな粋な人だったけど、残念なことに酒で命を縮めて、母が後を継いで三代目。私が四代目ということになります。昭和23年生まれで大学卒業後3年間玩具メーカーで営業の仕事。長男なんだからそろそろ、と母に頼まれ、昭和48年に戻って継ぐことにしました。

─全日空の機内誌(英文)に昇文堂の紹介記事(平成7年)が
 掲載されていますが、その文中に「小さいことは美しい」
 とありますが。


 創業から現在まで機械の性能は向上していますが印刷機は2台のままです。企業を小さいまま保つ“慎重なポリシー”のことを言っているんだと思います。ある意味では時代遅れを恐れない。あまり自慢するほどのことじゃないと思いますがね。

─昇文堂という社名の由来については?

 「昇」という字が気に入ってのものでしょうね。戦後二代目が昇文堂印刷(株)としてオフセット印刷を始めたのですが、平成元年に私が現社名(株)昇文堂にし、定款も変えて多角的な事業展開が出来るようにしたが、未だに印刷だけ(笑)。カタカナの社名には抵抗があり、“昇文堂”にはこだわりをもっています。郊外に工場を拡充する計画もあったけど、これも実現せず。負け惜しみじゃないけど、当社伝統の慎重な経営戦略が生きてしまった…。

─誇れることはやはり技術ですか。

 石版印刷の先駆者として、その伝統のうえに、他社が手掛けない難しい仕事に特化していく。幸い永く勤める職人たちには恵まれています。

─後は後継者の問題ですか?

 娘が二人。上はすでに嫁に行き、下は来年の予定。いまはまったく白紙の状態です。




オリジナルトランプなども手掛ける。




大正から昭和初期に手掛けた各種ラベル。
石版印刷は芸術作品のようだ。
会 社 名株式会社 昇文堂 しょうぶんどう(創業1899年)
住  所東京都 千代田区 神田佐久間町4-6
電  話03-3862-0045
事業内容 マジック関連製品などのパッケージ印刷、
一般商業印刷、CTP印刷ほか

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