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百余年の信頼をベースに、健康と衛生を科学する

玉川衛材 株式会社




「おかげさまでもうすぐ110周年」と、三代目社長の玉川さん。




現在の本社玉川ビル。



 千代田区岩本町2の旧い町名は神田東紺屋町。今川橋の下を流れる川で何軒もの染物屋が布地を洗っている情景が見られたという。この風情ある町並みも遠い昔。織物業を営んでいた関係で、この地に店を構えた創業者が、間もなく衛生材料業に転身していくのだが、「ごく自然な流れではなかったか」と三代目社長はいう。そして、家庭消毒薬「リバガーゼ」で医薬品業界に確固たる地位を築く。

─初代(創業者)はどちらのご出身ですか。

 埼玉県の秩父です。代々家業が織物業で、綿布、蚊帳、風呂敷などを作って、日本橋の西川さんに卸していた。この地に店を構えたのは明治32年で、すぐに衛生材料加工業を始めています。これが創業で玉川惣右衛門。当時、脱脂綿、ガーゼ、包帯などの衛生材料はヨーロッパからの輸入品で、当社が国産化の先陣を切った、といえるのかも知れません。織物とまったく縁のない世界ではなかった。

─先見の明というか、目の付け所がよかった。

 創業の5年後に日露戦争。軍事物資として採用され開業後の基礎が確立しています。大正12年に二代目の玉川幸吉が家業を継ぎ、本格的な病院への売り込みが始まる。昭和5年には陸軍省の指定業者となりました。その当時使っていた当社の社章は、星印の中央に「玉」でした。
─しかし、戦後は状況が変わってしまいます。

 軍への優先的な納入は当然なくなりました。そして材料不足。統制経済のもと衛生材料の配給販売もあったらしい。さらに生理用品として使われていた脱脂綿は、紙綿の出現で需要が急落する。当社は医薬品の製造を検討することになります。

─そして、大きな転機となる製品が誕生する。

 昭和29年の「リバガーゼ」ですが、突然生まれたのではなくて、昭和10年から製造されている外科手術用の「ヨードホルムガーゼ」や、戦時中病院用に使われていた「アクリノールガーゼ」がベースにあった。これを一般薬店用として小瓶に詰めて売り出したのです。昭和30年代には全国販売にこぎつけます。歴史と伝統があり、その上に社員の努力と、「玉川さんを助けてあげよう」という問屋筋など関係者の温かい気持ちのおかげです。

─社長が三代目を継がれたのは。

 昭和30年代、倒産寸前という一番苦しい頃が学生で、夜中まで荷造りや配達をする青春時代(笑)。業界の長老から祖母が昔「火鉢にあたりながら札束を積み上げ原綿の買付けをしていた」という話を聞いてやる気になった。祖母には感謝です。薬問屋で何年か修業して、昭和47年に入社して今日に至ってます。

─さて、最後にこれからのことを少し。

 平成元年、創業90周年で念願の木更津工場が完成。中国を始め東南アジアにも生産の拠点を拡げつつある。あとは各国から社員を受入れて、力をつけてもらい、本国へ帰って生産に取り組んでもらう。そんな形で世界へ「タマガワ」を拡げていけたらいいなと考えています。



昭和30年代の店頭、配達用のトラックに
「傷ならタマガワリバガーゼ」とある。



リバガーゼ、マッキンなどタマガワブランドの主力製品。



大事なお宝、
おばあちゃんが愛用していた火鉢。
これを見て三代目は発奮したという。
会 社 名玉川衛材 たまがわえいざい 株式会社(創業1899年)
住  所東京都 千代田区 岩本町2-2-16玉川ビル
電  話03-3861-2033
事業内容医薬品、医薬部外品、衛生材料・用品などの製造、卸売り

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