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安心できる空間の提供 貫く「もてなしの心」

和風旅館 龍名館




「和」を基本に、新しい時代のサービス業を模索する 四代目浜田さん。






建替え前の龍名館本店。


 小川町の交差点から、御茶ノ水駅に方向へ坂を上がっていくと、左手にニコライ堂を望む右手に、二階建ての純和風建築が、およそ30年前まであったことをご記憶の方も多いと思う。この地で百余年、東京を代表する老舗旅館「龍名館」である。昭和48年、時代を読んでいち早くビルに建替えるという大英断。「和」の伝統を守りながら新鮮な視点で、四代目は新しい事業展開を模索する。

─ご創業が明治32年、ここ神田駿河台。

 初代卯平衛は日本橋の老舗旅館名倉屋に生まれ、姉が本店を継いだので分店を任される。これが「龍名館」の発祥。姉の名の「辰」と名倉屋の「名」にちなんで名付けられた。建物は洗練された数寄屋造りで全室庭に面し、什器備品も選び抜き、趣味人や各界の名士を惹きつけたらしい。また初代は新しいもの好きで、庭の一角に西洋館を建てコックを置いて洋食を出すなど、妻のうた共々商売熱心で、大正初めには呉服橋支店(八重洲龍名館)、猿楽町支店を出すまでに家業は発展したようです。

─6年前に「創業百周年」を迎えられた。

 その時に作った小冊子の表紙、川村蔓舟作「雲中採玉」も先生からのいただきもの。他にも「ご祝儀だよ」と絵をくださる画家のお客様があり、貴重な「宝もの」になっています。幸田文さんの「流れる」という作品の中でも、帝国ホテルと並んで当館が登場する。それと地方の名士の方々の、東京での常宿として愛されており、震災後の逸話でもわかります。
─それはどんなお話しでしょうか。

 大震災で三店とも焼失します。さて再建資金をどうするか途方に暮れる二代目(浜田次郎)を励まして、初代夫人うたは古くからのお客様の一人山形県・酒田の本間様にお願いに上がる。本間様といえば殿様も羨むお金持ち。すると二つ返事で了承、しかも無利息、無期限。このご好意に報いるために一同事業に励んだ。これは母から聞いた話です。

─震災から甦った本店、戦災をくぐりぬける。

 ビルに建替える計画は昭和48年。かなり早かったと思います。三代目(私の父)の大きな決断だったと。この時、貸ビル業に転ずるのでなく旅館業を続けたから今日がある。幸運だったと思います。小規模だけど暖簾をおろさずに家業を続けることができた。日本文化の継承ができたと。部屋はすべて和室で、床柱や床の間、鴨居などに面影を残しました。都心に数少ない「和」の宿、外国からのお客様もよくお見えになる。国が作った海外観光客誘致のビデオにも、日本旅館を代表して出演、PRにも一役買っています。

─社長が四代目を継がれたのは。

 浜田家は祖父、父が娘婿で、三代続いて慶應。私は大学を出てホテルオークラに入って3年、建替えが進んでいた昭和49年に入社して今日に至っています。六本木に日本料理の「花ごよみ」、ホテル八重洲龍名館に南欧食堂「アマートアマート」など、安心して過ごせるスペースの提供を基本に飲食分野にも力を入れている。もてなしの心は旅館と全く同じ、大手とは違う「個性」で勝負だと思います。



創業以来百余年の商いを見守ってきた
玄関前に聳える「槐」(えんじゅ)の木。
ビル建築時も切倒さないように設計したという。




現在の龍名館本店の玄関。
会 社 名株式会社 龍名館 りゅうめいかん(創業1899年)
住  所東京都 千代田区 神田駿河台3-4
電  話03-3253-2330
事業内容 旅館龍名館本店、ホテル八重洲龍名館、六本木龍名館「花ごよみ」

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