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「美味しさをより広く」が悲願 独自の技術でコンビニ進出。

海苔・総合メーカー マルタ株式会社




まるにタの暖簾




各種海苔製品、煎茶が並ぶ店頭。




「ほとんどゼロからの再出発でした」と語る三代目社長の濱さん。



 炊きたての御飯に味噌汁、海苔を炙るいい薫り。そんな朝食風景が今や「郷愁」になってしまった。見かけるのはコンビニのおにぎり、旅先の宿で朝食に出る焼きのり。そして寿司屋の巻物程度だ。しかし、「もっと美味しい海苔を、広く食べてもらうことが悲願」という明治の老舗の主は、暮らしや嗜好の変化をうまく捉えて、日本の食卓が忘れてしまいそうな海苔という食材の普及に奮闘している。

─まずはマルタという社名の由来から。

 初代(私の祖父)の名が種治。そのタをとって丸で囲む。よくあるパターンの屋号です。マルタでなくタマルだったら「貯まる」で、もっと良かったのかも知れない(笑い)。

─ご創業はこの地、神田小川町ですね。

 祖父の生まれは長野県の茅野。旧家の次男坊で、東京に奉公に出た。何年か後に独立して店を持った。苦労した人らしいけど商いが好きで人望もあり、小売商組合の組合長までやった。店員も二十数名置いていたそうです。地道な商いより相場で儲けるタイプでした。元々海苔は相場商品で、仲間問屋というのがあって、不特定多数の仲間と売り買いをする。相場師としては妙味のある商売なんです。

─親子でもそれぞれ得意の分野がありますね。

 このビルは父がフランスを旅した折感銘を受けた建物のデザインを取り入れたと聞いております、ハイカラな人ですよ。

─それで三代目を継がれたのは。

昭和36年、長男でしたしこれは「天命」だと思って。しかし当時は得意先がほとんどなし。トラックに海苔を満載して二泊三日、関東一円を廻って販路開拓を一からやりました。当時はスーパーが出来始めた頃で、暮は大晦日の夜遅くまで店頭で必死に売りましたね。そうやって少しずつ認められて、卸売りのルートが確立していきました。

─神田のお店の方はいかがでした。

もちろん地元の昔からのお客様も大事。九州有明産の一番摘みの本当に美味しい海苔を厳しく選んで仕入れてます。これはクチコミですね。作家の川口松太郎さんは「うちのじゃなきゃ駄目」と。そういうファンはけっこういらっしゃいますね。そのファンと母はお店で仲良く接しておりました、引退した今でも母を慕って遠方から声が掛かるほどです。煎茶も各地のいいものだけを置くようになりました。

─コンビニのおにぎりが大きな転機になったとか。

今でも鮮明に覚えています。昭和63年、ある包装メーカーの方との出会いです。閃くものがあった。これはいけると。失敗の量も半端じゃなかったけど意に介さない。大手コンビニがまず商談に乗ってくれた。現在の包装方式です。一日十数万食の海苔の消費量は相当なもの。今や問屋ルートの柱になっています。

─最後にこれからのことを少し。

 私の息子が専務で四代目。水戸にある工場をまかせてある。食品の安全ということを当たり前のこととして受け止めています。この商売では大切なこと。それと中国や韓国産を扱って、全世界に海苔を売るのが夢。次代のためのルートづくりを、いまやっているところです。



戦後、昭和30年代までは木造二階建ての
店舗だった



あるメーカーと協力して開発した、
コンビニ用おにぎりの包装技術。
会 社 名マルタ株式会社(創業1909年)
住  所東京都 千代田区 神田小川町1-11(浜総ビル)
電  話03-3293-1167(代)
事業内容各種海苔、煎茶の販売

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