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「大木五臓圓」の復活と、製薬会社が造るサプリメント。

五臓圓の 大木製薬




「薬ルートに限らずあらゆるチャネルで」と
岡島常務取締役





江戸創業当時の木彫りの看板


 薬メーカーの用語で、薬の形状のことを「剤形」というらしい。大木製薬のルーツ、その原点ともいえる「大木五臓圓」。「剤形」が現代的でないという理由から、数年前に製造を中断した。三百数十年の伝統ある商品を市場から消そうとした。ところが、それは四年後の今年、復活劇につながる。

─まず、ご創業の頃のお話から。

 万治元年(1658)、四代将軍家綱の時代、前の年の大火事(明暦の大火、別名・振袖火事と呼ばれる)の後に出来た新興地、両国広小路に初代・大木口哲(こうてつ)が「大木五臓圓本舗」という漢方薬の店を構えたのが始まりです。当時は富山の薬のように行商が一般的で、その中で特に金看板を掲げて店売りを許された。話題にもなったのでしょう。有名な安藤広重の絵にもこの看板が描かれているほどです。

─その「五臓圓」という薬ですが…。

 漢方医の湖龍斎が、中国の医学書に基づいて考案した処方を、大木口哲に伝授したものといわれています。成分は人参、芍薬、ききょうなど八種類の生薬。その名のとおり五臓六腑に活力を与え、機能低下をバランスよく補い精力剤としての効能もあった。当時としては最高の高貴薬〈朝鮮人参〉を配合していたので、豪商や大名、上級武士などに人気だったようですが、庶民にはまだ高嶺の花…。
─その後の歩みと、神田とのご縁は?

 江戸時代はずっとこの五臓圓の製造販売一本できて、明治初年に家庭薬卸業を兼業するようになる。明治維新後中国から生薬が輸入されるようになり、漢方薬の原料不足も解消され、五臓圓も高嶺の花から庶民にも手が届く薬になっていく。そして、明治二十九年大木合名会社設立と同時に、薬品関連企業の多い神田に進出、ということです。現在の大木ビルのある地所で五臓圓を作っていました。

─昭和四十五年に製造部門を分離独立させてますが。

 埼玉県の上尾に工場が出来たのがこの頃。現在数ある製品の中で三本柱、ビタミンゼリー剤〈パパー5、パパーC〉、乗物酔予防薬〈トリブラ〉、流動絆創膏〈大木のリュウバンS〉をはじめ、平成になってからOEMで生産を開始したコンタクトレンズケアー用品もここで生産しはじめました。平成七年からは群馬県富岡工場が加わっています。

─「五臓圓」が一度途絶えたというのは?

 四年ほど前、当社の都合で販売を中断しました。滋養強壮舐剤とあるようにその「剤形」が原因でした。容器からとって舐める…現代にマッチしないのでは、と。売上げも頭打ちでしたし。ところが、全国のご愛用者の皆様から強いお叱りを受け、早急に改良品の開発に取り組んだところ、医薬品の申請承認には二、三年かかるので、まず健康食品として「健養五臓圓」を発売しました。今年中には装いも新たに「大木五臓圓」も発売できる見通しになっています。



三本柱のパパゼリー、トリブラ、リュウバン





近く復活を果たす
「大木五臓圓」の新パッケージ
─最後に今後の展望についてひとこと。

 健康の基本はやはり五臓六腑にあり。「原点」を大事にし、製薬会社が造るサプリメントなど「美と健康に貢献でき商品」を開発していく。あらゆる市場がターゲットといった斬新な発想で。
会 社 名大木製薬株式会社 おおきせいやく(創業1658年)
住  所東京都 千代田区 神田鍛冶町 3-3
電  話03-3256-5051(代表)
事業内容医薬品、医薬部外品、コンタクトケアー用品の製造、販売