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創造と挑戦の三百年、築き上げた「信頼のブランド」

貴金属総合メーカー 徳力本店




徳力本店の歩みを語る山田社長



お客様のニーズに対応する形でオープンした宝飾品店舗

 ここ数年、JR神田駅東口の人の流れが変わったという。徳力本店の巨大なビルが平成七年に竣工してからのこと。ここに勤務する多くの人々の新しい需要に応えて、街が活気づいた。ひとつのビルの誕生が町を変えつつある。遡れば江戸時代中期に始まるというそのあゆみは、貴金属一筋、地金業界の歴史を如実に物語っている。

─昨年(平成十六年)で創立七十周年を迎えました。

 昭和九年に株式会社に改組してから、70年を迎えることができました。創業になりますとさらに二百余年、江戸中期の享保年間にまで遡ります。

─社名の『徳力』のいわれは何でしょうか?

 「徳義をもたらす力」と言い伝えられています。『徳力』の屋号が歴史に現れるのは享保十二年(1727)、八代将軍・吉宗の時代。江戸町奉行大岡越前守の名で「下金、屑金吹仲間組合」が許可され、その古文書に「徳力屋藤七」の名が記されていました。この組合は潰し金統制政策として金銀を市中から買い集め、金座・銀座に納める業をしていたと言われていまして、当時は弊社を含め質商と両替商がこの組合に名を連ね、兼業していたのが一般的だったようです。

─明治時代に大きな変革があったようですが。

 文明開化を合言葉に、さまざまな西洋技術が取り入れられますが、明治政府が決定した造幣寮(後の造幣局)の開設と、これに伴う金座・銀座の廃止は営々と金・銀を納入していた弊社をはじめとする地金商を震撼させ、新しい時代への即応を求められるようになりました。弊社はこれまでの質・両替の商いを廃して、貴金属地金の売買、および装飾品や工芸品を加工する新しい「金銀地金業(貴金属地金商)」に転業したことが、現在の基礎を築いたと言えると思います。
─戦時下、戦後の商いも大変だったようですが。

 大正期から昭和初期は、電話の普及など、都市生活が飛躍的に向上し、貴金属需要が急速に進み始めましたが、第一次世界大戦から戦後恐慌が起こり、さらに関東大震災(1923)による店・工場の焼失もあって、会社の再出発には大変な苦労があったと思います。昭和九年にはそれまで個人商店であった弊社は、地金商として近代化を図り、工業界の要請に応えるべく「株式会社徳力本店」に改組しています。東京大空襲(1945)で本社・工場が再び焼失し、終戦直後は連合軍司令部の監視下に置かれ、貴金属類・帳簿類が司令部指定の金庫に格納され、弊社の事業は全面的に休止状態になりましたが、復興に向けての努力を続けました。

─「徳力の小判」というのは?

 昭和三十一年に江戸時代・万延元年に鋳造された万延小判をかたどって純金小判の製造販売を開始しましたところ、全国的に人気を博して、弊社の知名度を大幅に上げることができました。



平成5年、38年ぶりに作り替えられた大相撲・NHK金杯も徳力の作

─その後は着実な歩みで。

 混乱期を乗り越えて今があるのは、お客様の支えがあってこそと思っています。これからも世の中の技術革新に呼応して、あらゆる貴金属のニーズに応える事業展開をしたいと考えています。
会 社 名株式会社 徳力本店 とくりきほんてん(創業1727年)
住  所東京都 千代田区 鍛冶町 2-9-12
電  話03-3252-0171
事業内容貴金属並び工業品、地金、宝飾品、歯科用

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