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秘伝のたれ。都内でただ一軒、 「あんこう鍋」の専門店

株式会社 いせ源




五代目社長、現会長の立川源次郎さん





床の間に鎮座する備前焼のあんこうの置物。五代目が三越で買い求めたという逸品

 西のふぐに対して東のあんこう。淡泊で美味。本場は茨城の水戸だが、純粋の江戸っ子が何故この魚に目をつけたのか。広い東京で「もあります」の店はあるが、「あんこう鍋専門」を看板に掲げる店はここ一軒しかない。さて、その170年を超える歩みとは。

─創業が天保元年(1830)。まずは屋号の由来から。

 徳川十一代将軍家斉の時代、ここ神田連雀町で初代立川源四郎が創業しました。屋号はその親戚筋が店主をしていた日本橋の大店「伊勢庄」のいせに、源四郎の源を重ねたもの。創業当時からずっと「どじょう料理」でしたが、大正の初期に四代目(私の父)が「あんこう鍋」専門店に切り替えて今日に至っています。

─切り替えた理由は何でしょうか。味つけも、水戸のような 味噌味ではないですね。

 四代目は頼山陽の本などよく読んでいて、そこで見つけたらしい。西のふぐに負けないほど美味だし、第一毒がない。西がふぐなら東はあんこうだ、という対抗意識。味つけについては相当研究、工夫したらしい。味噌味に逃げちゃいかん、あんこうの淡泊な味わいを殺しちゃう、と。それで秘伝のたれの味を創りあげた。だし、調味料の配分量など。これは一子相伝、企業秘密(?)です(笑)。
─こちらの建物は相当年期が入ってますね。

 関東大震災で焼けて昭和五年に建てたもの。先の戦争では、落ちたのが不発弾でこの一角が幸運にも焼けずに済んだ。だから老舗が何軒か生き残ってます。仙台から除隊になって、秋葉原駅を降りたら、一面の焼野原の中にポツンと我が家があった。涙が出ましたね。今では材料もないし、職人もいない。とても建てられませんね。もちろん手入れはしてきました。馴染のお客さんは裏の新館よりこちらの方が落ち着く、と。

─長い間には、ご苦労もおありだったかと。

 戦後は砂糖など、たれの材料が手に入らない。ヤミには絶対に手を出さない生真面目なところがありましたから、先代は。統制が解けるまで店を開けなかった。店を貸すこともしない。それで随分食いつぶしたようです。それと、たれの味も変えない。時代とともに嗜好が変わってもね。この味が嫌ならどうぞ他へ、と口には出さないけど、そんな気概をもってやってきました。冷凍ものを使って年間通して鍋を出そうとしたことがあったが、解凍が難しく味が落ちるので一日でやめた。この決断が伝統の味と信用を守ることにつながった。

─店舗の数を増やすことなどは。

 これも、味がばらつく恐れがあるからやりません。食べ物屋は恐いですよ。すぐに本家に響いてくる。ここを長男(六代目)にまかせ、新橋の支店は次男がやってます。相伝のたれの味もこれくらいなら大丈夫でしょう。

─いせ源という「のれん」の将来について。

 今大学四年生の孫が、「おじいちゃん、後を継ぐからね」、と嬉しいことを言ってくれています。卒業したら二、三年修業に出して、それからここで。有難いことですね。まずはひと安心というところです。



昭和5年の建築という店舗は、都の歴史的建造物に指定されている



あんこう独特の「吊し切り」。この日はやや小振りだが、通常は体長1メートルを超える
会 社 名株式会社 いせ源 いせげん(創業1830年)
住  所東京都 千代田区 神田須田町 1−11−1
電  話03-3251-1229
事業内容あんこう鍋(9月から4月限定)、他にうなぎ、どじょうなどの季節料理

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