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「江戸名所図会」に描かれた
今も変わらぬ伝統の味、江戸の草分“豊島屋の白酒”

豊島屋本店




十五代目、社長の吉村隆之さん





「江戸名所図会」にその賑わい振りが描かれた





右上に“豊島屋酒店白酒を”の文字が読める

 神田の名主であった斉藤幸雄、幸孝、幸成が親子三代にわたって編纂した全七巻二十冊に達する地誌「江戸名所図会」。江戸の繁栄が町絵師・長谷川雪旦の絵によって極めて精緻に描かれている。その中の「鎌倉町豊島屋酒店白酒を商ふ図」は、「山なれば富士、白酒ならば豊島屋」と謳われた豊島屋の繁盛ぶりを描いたもの。江戸の人々の心を掴んだ伝統の白酒造りはいまも連綿と受け継がれている。

─江戸の当時、ものすごく盛況だったようですね。

 江戸名所図会にある「鎌倉町豊島屋酒店白酒を商ふ図」は、毎年二月二十五日の一日だけ、雛祭の白酒を売ったところ、当日は江戸市中から大勢の客が殺到して大変な騒ぎになった様子を描いたものです。左手に入口があり、予め引換券を買い、白酒を買求めて右手の出口から出るのですが、けが人のために入口の上に鳶と医者が見張るほどの賑わいだったようです。豊島屋は、茨城県から出てきた豊島屋十右衛門が慶長元年(1596)に江戸城の工事に使う石材などの荷揚げ場となった鎌倉町で、ここで働く人たちを対象に安いお酒を商った酒屋でした。「江戸買物独案内」によれば周辺には、縄屋や桶屋など豊島屋の屋号の店があり、豊島屋一族がいろいろな商いをしていたようです。

─これほど評判が高かった白酒の 秘密は何でしょう。

 豊島屋の白酒は大変口当たりがよく、甘味があったからです。もち米を蒸して麹を入れ、みりんに仕込むため、みりんの甘さが一層糖化して、ものすごく甘くなります。さらに出来上がった醪(もろみ)を、昔ながらに石臼できめ細かくすりつぶして白酒にします。その製法は夢枕に紙雛様が立って伝授してくださったと伝わっています。

─白酒以外にも商売上手で知られたとか。

 当時、江戸で飲まれた酒は灘周辺の上方からの、いわゆる“下り酒”が主流でした。下り酒は杉樽に詰められ廻船で江戸に運ばれ、その際、樽の杉の香と波による攪拌作用の相乗効果でいっそう熟成し、美味しくなったといわれます。豊島屋はその下り酒に加え、酒の肴に大きい田楽を安く提供し繁盛したそうです。それと酒樽を酒から醤油、お酢の樽などに転用し、空き樽で儲かったとも言われています。
─その日本酒も今では杉の香は好まれないそうですね。

 香りもそうですが、搾りたての原酒に活性炭を入れて色をろ過します。本当にもったいないことですね。

─幾度かの危機を乗り越えて現在の基盤を。

 大変だったのは廃藩置県で武家の方から集金できなかったこと。関東大震災、東京大空襲でも全焼し、帳面や貴重な資料が焼失しました。明治以後、現在の日本蕎麦屋さんの販路を開拓し、みりんやお醤油など販売したのは十二代目にあたる私の祖父です。今は自社便で行ける範囲に限り、首都圏周辺のお店、およそ1,500店に商品をお届けしています。



昔のままの製法で造られる
白酒(180ml/420円)

─伝統の白酒、一年に一度ではもったいないですね。

 江戸以来の伝統の製法を守り造っていますが、三月四日過ぎれば忘れられた存在。変色はしますが、味は変わりませんから、カクテルなど何とか年中商品にと知恵を絞っているところです。それとインターネットを利用し、醤油や日本酒など基幹商品の拡販と、鰹節や蕎麦粉など扱い品種の拡大にもチャレンジしているところです。
会 社 名株式会社 豊島屋本店 としまやほんてん(創業1596年)
住  所東京都 千代田区 猿楽町 1−5−1
電  話03-3293-9111(代)
事業内容金婚正宗・天上味淋・江戸の草分白酒醸造発売元、酒類・食品商社

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