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「ハイテク弓具」の開発で伝統武道の普及に貢献

小山弓具




弓師として八代目、
社長の小山雅司さん



 かつては武器であった弓矢。身長をはるかに越え、美しささえ備えた道具を操り、武道スポーツとして楽しむ民族は世界広しといえ日本だけという。自生の竹を使う八百年続いた伝統の技に、新素材を持ち込むという技術革新。この道の発展に寄与した老舗のちから。

─生業が弓具の製作に替わったのが八代前。

 ええ、それが初代。安永九年(1780)生まれの小山源祐。弓が好きで自作の弓を試していたのですが「よく飛ぶ」と評判になり、ついに弓師として独立、小山弓具の創始者となった。先祖は家康公に従い三河から江戸に下って、薪炭調達係として仕えていたらしい。

─太平の時代、弓矢の需要はあったのでしょうか。

 確かに、飛び道具は鉄砲に替わり戦乱もない、唯一弓具は競技用として生き延びるのです。有名な京都三十三間堂の「通し矢」。江戸でも行われ大変盛んになった。各藩が競い弓具の改良も進む。しかしこの催し、資金はかかるし負けた者が腹を切るなど、有為な人材を無くすことに批判が出、廃止になってしまう。幕末には花街などに「町矢場」が多くなり、弓道は荒廃の時代。五代清三郎は、弓具に使う籐で椅子などを作っていたという話です。

─そして、復活を果たすのは明治時代以降。

 明治二十八年、京都に大日本武徳会ができ、弓道はじめ各種武道を包括して奨励普及を図ることになった。六代勝之助が小笠原流宗家の御用弓師となり、七代茂治が同流弓具のすべてを極めた。先代の話では、家業を継ぐか坊主になるかと言われたらしい。その時坊主を選んでいたら今はなかった(笑)。父は十四歳で江戸弓師・吉田音吉に預けられ修業を積んだらしい。「職人は生涯修業、奥義は始めにあり」が口癖で、私が新製品を開発するにあたって試作を繰り返した時など、この言葉の重みを実感しました。昔は小さい頃から家の仕事を手伝うのが当り前で、当時家にいた矢師と寝起きを共にした。仕事場以外での何気無い一言がとても勉強になった。しかし、最後はいつも「竹に聞け」でしたね。何度も何度も繰り返せということでしょう。九州・宮崎の弓師へ預けられたこともあります。

─弓矢の素材は昔から竹でしたよね。

 そうです八百年変わらず。グラスファイバーの弓を考えたのは、スキー板がきっかけでした。それまではヒッコリーという木で折れやすい。それと洋弓はすでにグラスでした。和弓でもできないかと試作の繰り返しです。昭和四十六年の和歌山国体で発表。認められるまでが大変でした。当時の全弓連会長の後押しがあったからこそ。強くて、扱いやすく、価格が安い(竹弓の約三分の一)。今や学生弓道のほとんどはグラス。それと輸入のアルミ矢。底辺拡大に役立ったと自負しています。

─弓道人口全体ではどうでしょうか。

 伝統的なものを何かやってみたいという、子育ての終った女性、定年過ぎの男性が少しずつ増えています。身体に優しいですから。


店内にかかる
年代ものの暖簾





竹弓も各種揃っている
会 社 名株式会社 小山弓具 こやまきゅうぐ(創業1801年)
住  所東京都 千代田区 神田須田町 1−6
電  話03-3256-2001(代)
事業内容各種弓具製作、販売

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